命の源となる「食べる」こと。
その源を生み出す人々がいる。
彼らは自ら求めることをやめ、
求められるものを生み出すことに、
日々向き合っている。
未来に誇れる仕事。
オークリーフの挑戦は、
これからもずっと続いている。
柏葉家は、100年以上前に岡山県から北海道芽室町に入植した畑作農家。4代目となる柏葉晴良さんが生まれた頃から、酪農も兼ねるようになった。
幼い頃から目にしてきた両親の働く姿。とりわけ、仕事と家事に追われる母親の姿は、小さなとげ少年の心に残っていた。
「女性が働き過ぎだなってずっと思ってたよ。酪農の仕事は24時間365日。それにご飯支度や育児などもすべて女性の仕事だからね。そんな働き方は自分が牧場を継いだ時には絶対やめようと思ったね」。
深く根をはっていた古い慣習。そういうものから自由になりたかった。「働く」ことが、義務ではなく喜びとなるような、そんな仕事の仕方。自分はもちろん、一緒に働くスタッフも含めて、希望を持って働きたい。これからはそんな時代を自分がつくる。経営者になる前も。なった後も、その考えはずっと変わらずに柏葉さんの心の中にある。
その思想の元となったのは、おそらく高校卒業後の海外留学にある。訪れたオーストラリアでは、同じ農業とはいっても、日本の保守的なそれとはまったく異なる生活が広がっていた。仕事も遊びも全力投球。オンとオフの切り替えがあって、何より仕事そのものから、辛さや義務のような重苦しさが伝わってこない。仕事は生きるために不可欠なことであり、まさに糧となって、生きることそのものを楽しむ彼らの暮らしぶり。技術うんぬんよりも、彼らのライフスタイルを学び、それはひとつの理想像になった。
しかし帰国後、希望と期待ばかりを胸に飛び込んだ家業は、思い描く理想とはほど遠いものだった。20代半ばで父が死去。重い債務が柏葉さんの肩にのしかかる。その当時は「豊かであること」はお金があることだったし、「幸せであること」は、お金を儲けることだった。そのためだけに、ただがむしゃらに働いた。
「20代で、良いことも悪いことも全て経験したね。でも、あの歳だったから良かったんだと思う」。
今では、そう振り返られるようになった。
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